〈20周年特別企画〉

今月の表紙“徹底解剖”
カメラマン編

デジタルカメラが主流になり、写真愛好家が増加。この20年でカメラは私たちにとって身近な存在になりました。ラサンカ創刊当時から、表紙カメラマンとして記憶に残る多くの「1枚」を撮影してきた近藤さんに、今までの歩み、今後の抱負を語って頂きました。


フォトグラファー
近藤 竜吾さん(52)駅前町

近藤さんメイン


京阪神のカメラマンに負けない仕事を

現場で学んだ東京時代
 父は駅前で写真店を開業しました。私は店を継ぐつもりはなく、父もそれについて何も言わなかった。具体的な目標のないまま、東京の大学に進学。在学中は、父にもらった中古のニコン(写真)をいつも持ち歩いていました。広告会社と仕事をする商業カメラマンになりたいと思い始めたのは自然な成り行きかもしれません。アルバイトでスタジオに入り、カメラマンのアシスタントとして経験を積みました。その後、写真感光材料について学ぶため、都内の写真の現像会社(プロラボ)に入社。数年後、撮影の勉強をしたくて、スタジオに転職しました。商業カメラマンとして東京で独立することが夢でした。

ふるさと福知山で始動
 父が病気で急逝したのは私が28歳の時。長男ということもあり、地元に戻る決意をしました。当時、福知山には飲食店のメニューや学校案内など広告写真を専門に撮るカメラマンはおらず、ほとんど大阪から来たカメラマンが撮影していました。私は会社案内、ポスター、パンフレットなど商業用媒体のカメラマンとしてスタートを切りました。店は妹にも手伝ってもらいましたが、毎日、必死でした。
 創刊を前にしたラサンカさんから表紙撮影の話が来たのはちょうどその頃。当時の編集長が同級生で、「将来的には、きっちりお支払いするから」
とお願いされ、軌道に乗るまではボランティアで協力することに。撮影現場では無茶振りが多く「無理や!」「頼む!何とかして~」そんなやり取りがよくありましたね。この頃は  のカメラを使って撮影。1999年から中判フィルムカメラに。そしてデジタルになったのは2008年2月号。最初は戸惑いもあり、現場にパソコンを持ち込みモニターで確認していました。

そしてこれから
 創刊当時のラサンカは知名度もなく、反響もなかった。だけど今は違います。多くの読者さんに見て頂いて、反響が大きい分、一種の怖さも感じています。特に、今回もそうですが、着物や浴衣のモデルさんの場合、(着物の)あしらいを意識しないといけない。気にしすぎると、いい表情を引き出せない。スポンサー様の意向も聞きながら、一瞬のうちにいろんなことを考え、シャッターを切っています。
 プライベートでは3人の子どもたちの成長が一番の楽しみ。運動会などイベントにも駆けつけますが、撮影よりも子どもを見つける方が大変です(笑)。子どもたちの成長の記録はかなり多い方だと思います。
 フィルム、ライティングなどすべてを理解して一枚の写真に織り込んでいくのが私の仕事。まだまだ撮影の幅を広げていきたい。ここ福知山で、京阪神のカメラマンに負けないような仕事をしていきたいです。



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